2020/07/22

写真を撮る理由

久しぶりにブログを書く。
インスタグラムに書くのはちょっと気が引けたから。
インスラグラムはもともとこどもが産まれてその成長記録を記していたものだし、自分のことをあの場所にかくのは、すこし躊躇しちゃう。のはなんでだろう?
とくにくらーい話とか悲しい話をかくのは、さらに。
それは自分の性格の問題なんだと思う。
楽しいこともあれば苦しい事もあるのがあたりまえ。みんな顔で笑いながら心で踏ん張ってたり。そんな風に思って世の中を見ている。


最近ひとつ気づいたことがあって、これは記しておきたいと思ったことがあった。
いつからか心が弱ってしまっていて、きづいたら自分を見失いそうになっていた。心から笑えなくて、自分のほんとの言葉がでてこないようなかんじ。
毎日わたしの中にあるカスカスの愛をふりしぼってこどもたちに与えている感じだった。
けれども与えてるつもりが気づいたら沢山もらっている。そんな循環の毎日。ありがとうこどもたちよ。



わたしはもともととても自分に自信がないタイプだった。
こどものときはひっこみ事案で、手をあげて自分の意見を言えない子、自分の思いをはっきりと言うことが苦手な子だった。
だけれども、昔から出逢いには恵まれていて(神様仏様ありがとう)、周りの明るく楽しいポジティブで素敵な仲間達に助けられ、腐ることなくなんだかんだと楽しい世界で生きてこれた。
25歳くらいの時に出逢った人の言葉のおかげで、自分を信じる強い気持ちになれたのも大きかった。自信とは、その名のとおり、ただ「自分を信じること」なのです。
まずは自分が自分のことを信じてあげないと。


最近自分をあやうく見失いかけたギリギリのところで
暗闇で一筋の光が見えたみたいに、自分で自分を深く掘り下げる作業ができた。
こどもの頃、家庭環境がよくなかった時期もあって
見たくないこと、ききたくないこと、悲しくて忘れたいことが日常茶飯事的にあったことを思い出したのだ。
本能的に忘れるようにしていたから、ほんとうに忘れてしまってたんだけど
思い出そうとしたらぼんやりと輪郭が浮かび上がって、
心になにかが残っているんだなあということに気づいた。
それで、その残骸みたいなものが実は私をけっこう苦しめていることにも気づいた。
わたしはあの時のわたしに戻れないから、ほんとうはどんな気持ちだったか聞けないのだけど。
あの時のおかげで感受性が強くなったのかもしれないとか
人の気持ちや言葉に敏感なのかもしれないとか
自分の気持ちは自分の中に籠めるようになったこととか。
私はプラスに捉えて生きてきたけど、
こういう性質は気づかないうちに自分を苦しめてることもあるんだな。と。
もっと自分は自分の気持ちに耳を傾けて、
気づいてなるべくリリースしていかないといけない。


そういうことに気づいたときに、
忘れっぽい自分。が、忘れるようにできてる自分。と捉えられるようになった。
幼い心の私に起こった自分を悲しませる出来事から自分を守る術みたいなもの。
平穏に生きていくために自然と身に付けていた術だろうけど、
大人になるとなかなか不便なことも多々あるけども。



すぐ忘れていく、流れて消えてく。過ぎ去っていく。
そういう思いがもともととても強くて、この気持ちはどこからくるのだろう?
とぼんやり思っていたけど、過去の私と繋がっているんだなということが今回わかった。
高校生の頃に写真を撮り初めて、すごくのめりこんだ。
とても衝動的で、心の赴くままに。今でもずっとそう。
自分が写真を撮ることは自己表現でもなくて、
ただただとても本能的で衝動的な行為だとずっと思っている。
瞬間瞬間を残したい衝動。

















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